久しぶりの一人旅で岐阜県に行った。温泉目的の旅行とはいえ観光で寄ってみたい先が一つだけあった。天下分け目の関ヶ原である。
べつに戦国マニアではないし、もちろん歴女じゃない。でも関ヶ原の戦いは日本史の中でも上位を争う有名な出来事だし、どんなところなのか・現在はどうなっているのか、ちょっと見てみたいと思った。
町の中にいろいろな跡地が点在しているのだが、はっきり言って車か自転車がないときつい。いや、半日~1日がかりで歩いて回るのは可能だし悪くはない趣向だけども、自分のように1時間やそこらでざっくり回ろうなんてのは無謀すぎた。
駅のすぐ目の前に「関ケ原駅前観光交流館」がある。規模は大きくないが売店・休憩コーナー・案内所・コインロッカー・たしかレンタサイクルもあった拠点施設。
ここのロッカーに荷物を預けたら、ロッカーごとに武将の名前が書いてあるのに気づいた。自分のは「西軍:安国寺恵瓊」だった。料金の高い大型ロッカーになると徳川家康とか石田三成のようなビッグネームになる。
今回は自転車を借りず自分の足で行く。交流館で入手した地図を頼りに時間内に回れそうなコースを組むと…北へ向かい、いくつかの陣跡を見ながら最終的には笹尾山の石田三成陣跡まで行って帰ってくる…よし、決まった。
駅から5分ほどで東首塚に到着。西首塚とともに戦死した将兵を埋葬したところといわれる。いわくありげな大木と供養台が。
同じ敷地に松平忠吉・井伊直政陣跡の碑も立っていた。
そうして徳川家康 最後陣跡に着いた。家康は最初、3キロ離れた桃配山に布陣したが、やがてこの場所に本陣を移した。ここだと西軍の本陣まで500~600mしかないぞ。ある意味でショートレンジの打ち合い。
今は陣場野公園という公園になっている。親子連れがキャッキャウフフに興じる一面の芝生に、激しかった合戦の痕跡は微塵もない。なお公園の隅には田中吉政陣跡の碑がある。
有名な敵中突破・島津の退き口ってのは、撤退の際に家康の本陣近くをかすめていったという話だから、このあたりからさっきの家康最後陣の方向へ突撃していったってことなのか。ふむふむ。
そうこうするうちに笹尾山の前に到着。麓には島左近陣跡があった。某無双ゲームだと大剣を振り回す、若干おやじテイストの入ったガッチリ体型の人だよね。
ここはさすがに本陣を置いただけあって戦場の様子を把握するのに適している。下界へ向けて法螺貝を吹きたくなるような場所だ。
なにせ時間がない。感傷に浸る余裕もなくすぐに山を下りた。近くにある笹尾山交流館は遠目に見るだけでスルー。
決戦地付近から笹尾山を望む。時節柄、あちらこちらで彼岸花がたくさん咲いており、天下分け目の決戦で斃れた将兵を弔うようにも見えた。
帰路の途中、陣場野公園のすぐ隣に歴史民俗資料館があったけど、見学時間を10分も取れない状況じゃ入ってもろくに見ることができない。残念ながらパスして入口の写真だけ撮っておいた。
一番面白かったのが、小早川秀秋の「裏切りサイダー」。見た目と味のギャップの大きさが特徴。青いのにイチゴ味とか、そんな感じ。彼は戦いの趨勢を左右した重要キャラであるにもかかわらず、エピソード的にどうしてもイロモノ扱いされがちだから、気の毒といえば気の毒である。
以上で関ヶ原観光は終了。うん、全然時間が足りなかった。単に笹尾山まで歩いて往復したのと大差ない行動になってしまった。わざわざ言うまでもないが、当地へ足を運ばれる方はしっかり時間を取って、じっくり見て回ることをおすすめしたい。
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べつに戦国マニアではないし、もちろん歴女じゃない。でも関ヶ原の戦いは日本史の中でも上位を争う有名な出来事だし、どんなところなのか・現在はどうなっているのか、ちょっと見てみたいと思った。
町の中にいろいろな跡地が点在しているのだが、はっきり言って車か自転車がないときつい。いや、半日~1日がかりで歩いて回るのは可能だし悪くはない趣向だけども、自分のように1時間やそこらでざっくり回ろうなんてのは無謀すぎた。
関ケ原駅前観光交流館からのスタート
関ヶ原観光の起点はJR東海道線・関ケ原駅。前泊地の下呂温泉から移動してきて昼頃に着いた。スケジュールの都合により当地での行動可能時間は70分。さあどこまで回れるか。駅のすぐ目の前に「関ケ原駅前観光交流館」がある。規模は大きくないが売店・休憩コーナー・案内所・コインロッカー・たしかレンタサイクルもあった拠点施設。
ここのロッカーに荷物を預けたら、ロッカーごとに武将の名前が書いてあるのに気づいた。自分のは「西軍:安国寺恵瓊」だった。料金の高い大型ロッカーになると徳川家康とか石田三成のようなビッグネームになる。
今回は自転車を借りず自分の足で行く。交流館で入手した地図を頼りに時間内に回れそうなコースを組むと…北へ向かい、いくつかの陣跡を見ながら最終的には笹尾山の石田三成陣跡まで行って帰ってくる…よし、決まった。
東軍成分多めの前半
東首塚と松平忠吉・井伊直政陣跡
最初の出だしの道沿いに戦いの展開を説明する看板が設置されている。説明に添えられた各武将のイラストのイケメン補正がすごい。某無双ゲームを思い出した。駅から5分ほどで東首塚に到着。西首塚とともに戦死した将兵を埋葬したところといわれる。いわくありげな大木と供養台が。
同じ敷地に松平忠吉・井伊直政陣跡の碑も立っていた。
徳川家康 最後陣跡
後半に焦らなくてすむよう、時間を前倒し気味に、古くからの住宅街の細い道を早足で北へ進む。1本1本の電柱に関ヶ原豆知識なるものが貼ってあるぞ。じっくり読んでる余裕はないがな。そうして徳川家康 最後陣跡に着いた。家康は最初、3キロ離れた桃配山に布陣したが、やがてこの場所に本陣を移した。ここだと西軍の本陣まで500~600mしかないぞ。ある意味でショートレンジの打ち合い。
今は陣場野公園という公園になっている。親子連れがキャッキャウフフに興じる一面の芝生に、激しかった合戦の痕跡は微塵もない。なお公園の隅には田中吉政陣跡の碑がある。
島津義弘陣跡
さらに数百メートル北上して脇道へ入ると、神明神社の裏手にあたる場所に島津義弘陣跡があった。今年の大河ドラマが西郷どんだからという、よくわからない理由で寄ってみることにしたのだ。有名な敵中突破・島津の退き口ってのは、撤退の際に家康の本陣近くをかすめていったという話だから、このあたりからさっきの家康最後陣の方向へ突撃していったってことなのか。ふむふむ。
西軍成分多めの後半
島左近陣跡
続いて最終目的地の笹尾山を目指すも、途中で重大な見落としに気づいた。島津の陣跡からもう少し寄り道すれば開戦地があるのに、うっかりスルーしてしまった。開戦の地へ行かないのはどうにもピースが欠けた感じがする。悔やんでも時間に余裕がないから今さら引き返せない。口惜しや。そうこうするうちに笹尾山の前に到着。麓には島左近陣跡があった。某無双ゲームだと大剣を振り回す、若干おやじテイストの入ったガッチリ体型の人だよね。
石田三成陣跡
ここの登り口から山の上を目指す。そんなに距離はないがきつい坂には違いなく、やけに疲れた…。頑張った甲斐あってついに石田三成陣跡へ至った。達成感に満足。ここはさすがに本陣を置いただけあって戦場の様子を把握するのに適している。下界へ向けて法螺貝を吹きたくなるような場所だ。
なにせ時間がない。感傷に浸る余裕もなくすぐに山を下りた。近くにある笹尾山交流館は遠目に見るだけでスルー。
決戦地
あとは駅に向かって帰路を行く。歩き始めて数分のところに決戦地があった。優勢となって笹尾山に押し寄せた東軍と抵抗する西軍の間で最も激しい戦いが繰り広げられたという。決戦地付近から笹尾山を望む。時節柄、あちらこちらで彼岸花がたくさん咲いており、天下分け目の決戦で斃れた将兵を弔うようにも見えた。
帰路の途中、陣場野公園のすぐ隣に歴史民俗資料館があったけど、見学時間を10分も取れない状況じゃ入ってもろくに見ることができない。残念ながらパスして入口の写真だけ撮っておいた。
再びの観光交流館でフィニッシュ
予定の列車が来るまで15分を残して駅前観光交流館に戻ってきた。売店をのぞくと関ヶ原ならではの売り方の工夫が見えた。たとえば家康対三成の「カレーなる戦い」というビーフ&ポークのカレーセットや、日清どん兵衛の関東版と関西版を対峙させて置いたりとか。一番面白かったのが、小早川秀秋の「裏切りサイダー」。見た目と味のギャップの大きさが特徴。青いのにイチゴ味とか、そんな感じ。彼は戦いの趨勢を左右した重要キャラであるにもかかわらず、エピソード的にどうしてもイロモノ扱いされがちだから、気の毒といえば気の毒である。
以上で関ヶ原観光は終了。うん、全然時間が足りなかった。単に笹尾山まで歩いて往復したのと大差ない行動になってしまった。わざわざ言うまでもないが、当地へ足を運ばれる方はしっかり時間を取って、じっくり見て回ることをおすすめしたい。
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