避暑にぴったり、静かな河畔の極上ぬる湯 - 川古温泉 浜屋旅館

川古温泉 浜屋旅館
暑い中で熱い温泉に入るのは大変。だから真夏は温泉旅行も小休止…かと思ったら全然そんなことはなかった。比較的涼しい地域のぬる湯を楽しむ2泊3日のグループ旅行計画がポロッと生まれたのである。

行き先は群馬県みなかみ町。1泊目は湯治の一軒宿として知る人ぞ知る川古温泉・浜屋旅館。当宿を提案してきたメンバーはどうやら、群馬の温泉を紹介するNHKの番組に川古温泉が登場したのを見てピンと来たらしい。

自分もいつか行ってみたいと思っていたからその話に乗った。実際に行ってみると、なるほど自然に囲まれた静かな山中に良質の石膏泉が湧く、暑さを忘れてリフレッシュするにはもってこいの環境だった。

川古温泉・浜屋旅館へのアクセス

川古温泉が位置するのはみなかみ町の旧新治村地区。東京方面から車だと関越道・月夜野ICを下りて国道17号(三国街道)を新潟方面へ。途中には湯宿温泉や、道の駅「たくみの里」という宿場町の古い町並みを保存したような立ち寄りスポットがあるけど、詳細は割愛いたしたく候。

三国街道をしばらく進み、赤谷湖・猿ヶ京エリアの相俣というところから分岐する県道270号に入る。で、赤い橋を渡ったところに「←川古温泉」の看板があるからV字型に左折する。

ここからの道は狭い。対向車が来るとキツイが数百メートルの道のりだからまあ何とかなる。途中「←広河原温泉 旅館峰」「川古温泉→」の看板があるところで再びV字型の右折を要す。

やがて旅館の建物と、その手前に小さな橋が見えてくる。しかしそこまで行き切ってはいけない。橋のもう少し手前に駐車スペースっぽい土の区画があるから、そこへ車を置こう。奥まで行き切ってしまうと車を止める場所も転回させる場所もなく、半分詰んだ状態になってしまい泣きを見るだろう。

なお鉄道利用の場合、上越新幹線・上毛高原駅から猿ケ京行きのバスに乗り、終点手前の休石停留所まで行けば送迎してもらえるようだ(予約時に応相談)。


転地効果ばっちりの環境

リバーサイドの一軒宿

ここ川古温泉「浜屋旅館」は、姉妹館と思われる「旅館峰」が数百メートル圏内に存在するものの、一軒宿と言っていいだろう。見渡せる範囲に他の建物はなく、川のすぐそばに立つ当旅館がポツンとあるのみ。
近くの橋から見た川古温泉
さっそくチェックイン。手続きを待つ間、1階ロビーのガラス越しに間近に見える川を眺めていた。大浴場が地下1階にあることから想像されるように、ここの河原にお湯が湧いてるという寸法だろう。

と思ったら、調べによると河原に湧くのは旧源泉で、現在は掘削自噴の新源泉を用いているようだ。ほほう。

広くてスペック十分な部屋

それはさておき、案内された部屋は新館3階の和室。これがまた広いのなんの。まずテレビや座卓がある6畳のリビング。
川古温泉 6畳リビング
その隣は広縁的な役回りのカーペット敷きの間。メモには6畳と記してあるが、そこまであったかな。でも普通にありがちな広縁よりずっと余裕があって方形に近い、部屋と呼んで差し支えないサイズだった。
川古温泉 広縁の間
その隣が寝室となる8畳間。
川古温泉 8畳寝室
加えてシャワー付きトイレと洗面所あり。別精算の酒・ドリンクが入った冷蔵庫と金庫もあるし、素朴な湯治宿だからとハード面を見くびってはいけない。“ちょっといい宿”のレベルを十分にクリアしている。こりゃ当たりだ。

しかも部屋は川側にあり、ロビーで見たのをもっと高くから見下ろしたような景色が窓の外に広がっている。いいねいいねー。
川古温泉 部屋から見下ろす景色

ぬる湯好きにはたまらない、川古温泉の極上風呂

石膏泉を源泉かけ流し

川古温泉の大浴場は先述の通り地下1階にある。エレベーターを降りてやや暗い廊下の先にトイレ、女湯・男湯・混浴への入口、それに貴重品ロッカーが並んでいる。女湯と混浴は内湯+露天風呂。男湯は内湯のみ。

チェックイン直後の夕方にまず混浴へ行ってみた。べつに混浴を期待したからではなくて、そこが当温泉の目玉なんだろうと思われたし、明るいうちに露天風呂を体験してみたかったから(キリッ)。

脱衣所に掲示された分析書には「カルシウム・ナトリウム-硫酸塩温泉、低張性、弱アルカリ性、温泉」とあった。石膏泉てやつか。当然のごとく加水・加温・循環・消毒なしの源泉かけ流し。さすがですな。

手始めに体を洗うべく誰もいない内湯へ。1名分の洗い場と3~4名規模の浴槽があった。浴槽の底には川床風に石が敷いてあり(角の取れた丸い平たい石だから踏んでも大丈夫)、木の縁には頭を乗せる窪みが数箇所設けられていた。

お湯の見た目は無色透明。入ってみると人肌程度にぬるい。ぬる湯が好きなのでこりゃちょうどいいわ。いくらでも入っていられるやつだ。室内が暗めだったため湯の花の有無はよくわからず。匂いははっきり温泉ぽい特徴を感じる。

メインコンテンツの混浴露天風呂へ

続いて露天風呂へ行くとすでに数名の先客がいた。この露天風呂は男湯や女湯の方からも来られるように通路がつながっているから、男湯から来た人たちかもしれない。

ざっと30名いけそうな広い岩風呂は、真ん中付近に突き出した岩によって凹の字型になっており、大きく2つの区画に分かれる。手前側の区画は一部に屋根があり、高い位置から打たせ湯状に源泉が投入されている。

屋根のない奥の区画へ行くと、突き出した岩の裏が湯口になっていて、大量の源泉がドバドバ投入されていた。周囲に配された大きな岩のため、湯につかりながら直接川を見ることはできず、場所次第で立ち上がればどうにか見える感じ。

でも対岸の山の緑がよく映えて、これがもし秋だったら見事な紅葉に変化するんだろう。またこの日はあいにく曇りがちだったが、天候次第で夜には星がいっぱい見られそうだった。ざわついてなくて静かだし、避暑・静養・湯治には絶好のロケーションである。

極上のぬる湯にまったりと

露天風呂のお湯の基本的な特徴は内湯と同様。外気に触れる分だけややぬるい。ってのは平均的な話で、浴槽が広いから湯口は温かく湯尻は冷え気味、だからお好みの場所をどうぞ。加えて細かい湯の花とほんの微かな泡付きが見られる。

しかし内湯との最大の違いは「指先をシワシワにする能力」だ。入ってものの数分でシワシワになってしまった。普通は相当長湯してもなるかどうかってとこだけどね。こりゃすごい。

ぬるいから本当にいくらでもつかっていることができて、夕方と翌朝それぞれ1時間ずつ入っていたなあ。どちらも他に居合わせる客は多くて数名で、我々だけで独占できた時間も結構あった。結果的に混浴状態になることがなかったのは、こっちも気を遣わなくていいから、むしろ良かったんじゃないかな。

すぐれた泡付きの男湯も「大当たり」

夜には男湯へ行ってみた。混浴の内湯と似た雰囲気。洗い場は2名分あり、かけ湯に使ってくださいという半球の器にお湯があふれている。浴槽は3名規模。

入ってみて驚いた。見た目や温度は混浴の方と変わらない(微妙にぬくい程度の違い)。しかし泡付きがすごいのだ。炭酸泉じゃないかと思うようなレベル。腕のあたりを観察すると、泡を払ってもすぐにびっしりと新しい泡が付着する。こいつはとんでもねえ当たりを引いちまったぞ。

源泉は湯口からドボドボと落ちるのではなく、浴槽の底や側面のパイプから湯内に直接投入されている。だから源泉が空気に触れて泡が抜けてしまう前の新鮮な状態で入ってくるんじゃないだろうか。パイプの近くを陣取ると、源泉だか泡だかが背中を駆け上っていく、くすぐったいような感触を楽しめる。

川古温泉の露天風呂はもちろんすばらしいし、男湯の内湯も相当なハイクオリティ。ゆったりつかって幸せ気分になるには最適だ。


山の幸が並ぶ食事

見た目以上にお腹がふくれる夕食

川古温泉の食事は朝夕とも1階の食堂で。夕食は18時半からだった。行ってみると部屋ごとに決まったテーブルが割り当てられ、すでにいくつかの料理が並んでいた。スターティングメンバーがこれ。
川古温泉 夕食
実は「たいがいの旅館は料理が多すぎて食べきれないのがデフォルト」だと思って料理少なめプランで予約してあった。だから種類は多くないけど現物を見れば量的には十分だと感じられた。

刺身はニジマス、鍋は猪肉のぼたん鍋、まあ山の幸を中心とした献立だ。あとから岩魚の塩焼きも出てきた。グーグルマップで現地を調べると近所に川古温泉養魚場なるスポットが出てくる。そこで養殖したものだろうか、丸々と太って身がプリプリに詰まった岩魚であった。食べごたえあり。

他にもう一品出てきた気がする。銀杏のかわりに栗が入った茶碗蒸しだったかなあ。とにかく最後にご飯とデザートが出てくる前に結構お腹いっぱいになった。

岩魚のたたきにハマった朝食

朝食は8時。岩魚のたたきがポイント高い。こんなの出されちゃ、ご飯が進んでしまうぜ。
川古温泉 朝食
お腹にやさしい湯豆腐もあってなかなかよろしい。セルフでコーヒーもいただける。食堂を見渡す限り、客層は少人数の中高年グループばかり。静かで落ち着きがあって実に優雅なひと時となった。


夢のような避暑体験

川古温泉。今回きっかけを作ってくれたメンバーはよくぞ提案してくれました。自分も候補として頭の片隅には置いていたものの、それだけじゃいつ実現できたかわからない。実際に訪れてみると期待以上だった。静かな環境は好みに合っているし温泉の良さには脱帽。

うんざりするような猛暑を逃れて夢のようなひと時を過ごさせてもらった。いつもは夕食で酒を飲み、それから風呂に入った後でまた晩酌したりするんだけど、今回は晩酌をやめておいた。今宵の満足感・いい気分を酒の力を借りずに持ち続けたかったのだ。落語でいうあれだ、「よそう、また夢になるといけねぇ」。